「 戦後の横浜 」 一覧
-
アントニオ猪木 中学生だった猪木寛至とその家族の思い出 ブラジルへ見送った日
アントニオ猪木といえば、みんな知ってるスターです。 私も、リング上の姿や、政治家としての業績については、人並みの知識はあります。 時代をともにした有名人が、また一人・・・ 置いてけぼりに …
-
昭和の市民生活の一記録 思い出すままにⅡ 私は音痴だった(2)
(1)よりつづく こんなふうに、私は合唱団の稽古を楽しんでいました。 周りの人たち、特に、先生や母、ひょっとしたら妹も、私のせいで辛い時間を過ごしていたのかもしれませんが。 今、こうして …
-
昭和の市民生活の記録 思い出すままにⅡ 私は音痴だった(1)
「このままでは、お子さんは劣等感で性格がゆがむ危険があります。今のうちに何とかしてください。」 私が小学生になって初めての父兄会で、母が受け持ちの先生に言われた言葉です。 期待と不安に緊 …
-
昭和半ばの市民生活の一記録 思い出すままにⅠ 小学一年の思い出(3)
小学一年の思い出3 小学一年の思い出2 のつづき その後、この出来事がどうなったかは、全く覚えていない。 というより、家に入った時点で解決だった。 母は厳しかったが、済んだことをいつまでも言う人ではな …
-
昭和の市民生活の一記録 思い出すままにⅠ 小学一年の思い出(1)
記憶を記録してみることの意義 記憶というものが、いかに主観的かは、今日までのいろいろな実例で納得できました。 それなら、その主観的記憶をみれば、「その人」の理解につながるのではないでしょうか。 「その …