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アントニオ猪木 中学生だった猪木寛至とその家族の思い出 ブラジルへ見送った日

投稿日:2022年10月3日 更新日:

アントニオ猪木といえば、みんな知ってるスターです。

私も、リング上の姿や、政治家としての業績については、人並みの知識はあります。

 

時代をともにした有名人が、また一人・・・

置いてけぼりにされたような寂しさ。

もうちょっと生きてほしかった悔しさ。

真面目に生ききったことに対する称賛とねぎらい。

こんな気持ちは、きっとあなたと同じですよね。

 

でも私には、アントニオ猪木が亡くなったとなると、他のスターの場合とは違う、特別な思いがわいてきます。

まだ何者でもなかった猪木寛至

私の記憶のなかには、中学一年生の「かんじちゃん」がいます。

スゴイ存在感なんだけど、実は、顔や姿はあまり思い出せません。

 

かんじちゃんは、私の家の前を通って、中学へ通っていました。

毎朝、大きな体に大きな靴で、坂道をのぼっていくのです。

 

小柄な小学生だった私は、大きな体を見上げる前に、大きな足で視界が一杯になってしまいます。

大きな足がドシドシと坂道を踏みしめてのぼっていくような印象でした。

 

私にとっては、かんじちゃん=大きな足

よしこちゃんの、大きな足のお兄さん。

 

私は、かんじちゃんの妹のよしこちゃんと同じクラス。

家も近いので仲良しでした。

 

ある日、よしこちゃん一家がブラジルへ行くことになったと担任の先生から発表があって、クラス中が興奮しました。

 

ブラジルは地球儀で日本のちょうど反対側だときいて、

昼と夜が反対?

逆立ちしてるの?

 

当時の小学四年生って、こんなだったんです。

あれ、ひょっとして、私だけだったか・・・💦

 

今だったら、まるで月に行ってしまうような、

いえ、それよりもっと遠く、異次元に行ってしまうような気分でした。

 

だから、お別れの日、よしこちゃんが私に

「コーヒ、送るからね」

と言ってくれたとき、玉手箱を約束されたような気分でした。

 

ブラジルに行くなんて、もうスターなみ

そんな時代だったので、ブラジルに移住するという噂はたちまち広がり、

好奇心と羨望と不安にかられた人たちから、友達である私はいろいろ尋ねられたりしました。

 

”スターのお友達” になったわけです(笑)

それで、ちょっぴり、いいこともありましたよ。

 

猪木家は私の家から二軒先。

大きなお庭の幼稚園でした。

 

その幼稚園では、園児が帰った後に、いろいろな習い事の教室が開かれていました。

バレエ教室

お絵かき教室

児童合唱団の稽古場にもなっていました。

 

その合唱団には私も入っていたのですが、

安田幸子・章子(由紀さおりさん)姉妹も一緒でした。

 

猪木さん一家のブラジル出発も迫ったある日、

合唱団の休憩時間に、私が一人、鉄棒で遊んでいると、

章子ちゃん(由紀さおりさん)が、〇〇ちゃんと声をかけてくれたのです!!

 

え、えっ!!!???

 

当時から童謡歌手として有名スターだった章子ちゃんは、休憩時間でも優等生。

みんなと騒いだりはしていなかったし、わたしたちも一目おいていて、お友達感覚は持っていませんでした。

 

その章子ちゃんが、私の名前を知ってたの?

声をかけてくれるなんて!!

 

「お友達がブラジルへ行くの?」

「うん」

 

私ったら、ビックリして、「うん」と声を出すのがやっと。

じっと私をみている章子ちゃんに、にこりともできず、ましてや追加の説明なんてとても無理。

視線を下げて固まっている私でした。

 

しばらくすると、章子ちゃんは、「そう」と言い残して教室の中へ。

あれから半世紀以上経っても、しっかり覚えているほどラッキーな一場面です。

 

ブラジルでコーヒーをつくるの。

よしこちゃんはそう言っていました。

 

かんじちゃんは体も大きいし、きっとよく働いて成功するさ。

みんながそう期待して、送りだしたのです。

 

帰国した本物のスター

それから何年?

幼稚園に残った、ひでこおばさん(かんじちゃんやよしこちゃんの叔母さん)が亡くなりました。

 

やがて、猪木家のことは、たまに思い出すことはあっても、もう話題に上ることもなくなりました。

コーヒーの約束は、玉手箱と同じ、子供のころのおとぎ話でした。

 

そんなある日、高校生の私が、数学塾を終えて帰宅すると、

父が、「面白い子だったよ、かんじちゃんだ」

と感慨深気に言います。

テレビにはプロレスが映っていました。

 

昔々、よく父は、通学途中のかんじちゃんと顔を合わせていました。

「おはよう、かんじ君」と父。

返事は、一言「おっす」

最期の「す」は聞き取れるか取れないかの微妙な呼吸音だったとか。

 

私の中では、よしこちゃんのお兄さんとテレビ画面のプロレスラーは簡単にはつながりません。

喜んでいた父の中では、すんなりつながったのかな・・・?

 

今となっては、確かめるすべもなく、

よしこちゃんのその後を聞いておかなかったことが残念です。

 

私のコーヒー豆の思い出は甘ずっぱく、

でも、実際に飲む時は、コクと苦みを選んでいます。

 

猪木寛至さんのご冥福をお祈りします。

 

猪木寛至さんのご冥福をお祈りします

 

 

 

 

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