子供のころからのつきあいが60年以上の親しいイトコに半年ぶりくらいに会いました。
年齢差は一回り以上うえのイトコです。
出会うなり「△△ちゃん!」「まあ、〇〇さん!」と呼びかけあえましたよ!!
お互い認知できて、高齢者の再会には嬉しい瞬間です。
ついでながら、「~ちゃん」と呼んだのは年下の私から年上のイトコを。
「~さん」とは、イトコが年下の私のことを。
母が自分の姪を「ちゃん」づけで呼んでいたので、私はそのまま真似したからです。
イトコのお母さんにとって私の母は小姑なので、丁寧に私を「さん」づけで呼んでくれていたのです。
何とまあ、言葉遣いには歴史的人間関係が反映し、記憶の中で固まっているのですね。
ここまではよかったのですが、しばらくすると、イトコの反応がイマイチです。
時間のなせる残酷な仕打ちかと、他の同席者もショックでした。
他の同席者は、イトコと同年齢の人たちです。
環境の違い
イトコと他の同席者の違いは、イトコは高齢者施設で暮らしているという点です。
施設は生活の世話や食事作り、健康管理をやってくれるので自主的な生活は送れません。
イトコのいるところは、比較的自由な施設ですが、一人暮らしの責任や工夫、時間割のわがままは一切無縁です。
もちろん、安全が保障され、栄養も行き届き、インフルエンザウィルスからもしっかり守られ、安心できる恵まれた環境であることは確かです。
そして、その結果として、脳も肉体も刺激と訓練に欠けることは当然です。
毎日であうのは、似たり寄ったりの入居者と世話をしてくれる保護者だけです。
この環境は、元気な人には脳の老化を早める場所でもあります。
(silviaritaによるPixabayからの画像)
危険と安全、試練と保護、これが、年齢や個人の条件に応じ、絶妙の割合で整っている場所があれば理想的です。
できるだけ理想に近い環境をと努力して運営されているのが施設であり、そこに働く職員さんたちでしょう。
でも、これを実行しようとすれば、少なくとも入居者と同数の介護の人が必要になります。
設備も必要で、これは不可能です。
少ない人数、限られた施設でできるだけ安全と保護を実現しようとすれば、極力危険と試練を排除する必要があります。
そして、管理体制をしっかりさせることが必要になるでしょう。
保護されるということは管理されること
管理の合理化と行き届いた介護はこのような施設の両輪ではないでしょうか。
しかし、合理化と介護は矛盾もします。
具体的に何を優先順位に置くかは、施設によって違います。
条件がちがうのですから当然といえば当然。
イトコの施設は、入居者には夜眠ってもらうことを重視しているようです。
詳しいことは分かりませんが、脚が丈夫で歩き回れるイトコが、夜中に部屋を間違えたそうです。
それからでしょうか、睡眠薬をのまされるようになりました。
イトコに出会ったのはお昼ですが、ずっと、「眠い」と言っていました。
つい数日前まで健脚を誇っていたそうですが、急に自力で立ち上がれなくなっていました。
この状況は、私の体験と知り合いの情報を総合して考えてみて、睡眠薬のせではないかと思います。
薬の効き目は年齢差+個人差で違う
私自身、最近、市販の風邪薬が強すぎ、半分で効果があります。
葛根湯もよく飲んでいましたが、最近は一包飲むと動悸がひどくなります。
私の周囲にもそういう人は多いです。
睡眠薬の量を半分にしたのに、次の日も頭がはっきりしないという人もいます。
お酒ではありませんが、薬も体調や消化吸収力によって個人差は大きいようです。
内服薬は特に注意したいものです。
高齢者施設で睡眠薬を飲ませることの問題点
1 効き目の個人差が見極めにくい
睡眠薬で頭が働かないのか、認知機能の衰えなのか見分けにくい。
2 脳機能の衰えが始まっている人には、睡眠薬が衰えを助長する
目が覚めないということは、脳が活発に働いていないということです。
脳の衰えに追い打ちをかけているようなものです。
3 人手不足の管理体制の手軽な解消薬になっているのではないか。
入居者が部屋を間違えると、被害者の部屋を変えることで間違いの割合を下げる努力をしている施設もあるようです。
たしかに手間はかかりますが、その手間を入居者の脳の働きと交換するのは本末転倒です。
とはいえ、人手不足、施設や人材不足が追いつかないほど高齢化が進んでいます。
自分の人生
自分で生きる=自力で生活すること。
経済的にも肉体的にも精神的にも、自力で生きられたら言うことはありません。
自分を生きる=自分の好みや考えに従って生活すること。
自分で生きることが前提になります。
自分が生きる=社会や家族の中で役にたって生活すること。
自分を生きることが前提になります。
自力で生活してこそ自分の人生と言えるのではないでしょうか。
できるだけ長く、自力の生活を送りたいものです。
そのための工夫を若い人や社会が全体で取り組むべきでしょう。
人生の名残
生きている間は人生です。
「自分の」を自覚できなくなっても、人生の名残の時期を通過しなければなりません。
人類史に前例をみない長寿社会は始まりかけ。
避けて通れる人はいません。
親のこと、兄弟のこと、自分のこと。
今が名残人生の真っ最中の人に、しっかりしろと言っても手遅れだし、酷です。
まだ準備のできるうちに、最低限、心の準備だけはしたいものです。
どうやって?
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