あのパン屋さん、名前がおもいだせない!
何て名前だっけ? ほら、あの人よ、えっとー、あの、パン屋さん、・・・
ああ、パン屋のベイカーさんね。
って、誰にもよくあることなので、こんな現象に名前がついているんです。
”baker Baker paradox” ベイカーベイカーパラドックス
私もベイカーベイカーパラドックスにかかっています
昨夜は、中学一年生の時の、初めての英語の先生のあだ名がどうしても出てきませんでした。
失礼ながら、本名はもっと早い時期にすっかり忘れてしまいました。
無理に思い出そうとすると、別の先生の名前が出てきてしまい、繰り返しているうちに、もしかしたら二人とも同じ名前だったのかな、なんて、何とも都合のいいつじつま合わせが始まってしまいます。
余計なことで混乱しないよう、本名の方は深追いせずに諦めます。
横浜市立の中学校です。
英語の先生は、米軍基地で通訳をやっていた中年男性(私にはそう見えました、若くも年寄りでもない)で、革靴の後ろを切ったようなスリッパを履いていました。
いつもジャズの話とかして、スリッパの底をカタカタいわせリズムをとってまるで踊っているようでした。
今思い出すと、色白で体格が良く、と言ってもマッチョではなく、どちらかと言うとボールのような・・・、ハーフだったかもしれません。
基地の近くで高齢のお母さんと二人暮らしという噂も流れていました(笑? 涙?)
英語は、いきなりはじから当てて読ませました。
わたしったら、最初は一から教えてもらえるんだとばかり思っていたのでなんの準備もしていませんでした。
英単語をローマ字読みしてはいけないのだと思っていたので、lemon や banana さえも分からず焦りました。
アクセントがあることすら知りませんでしたから。
先生の声も、「〇〇ちゃん、ダメよー」と注意する時の鼻にかかったトーンもちゃんと思い出せるのに、あだ名だけが出てきません。
こんなに良く思い出してるのに、あだ名だけがでてこないっヽ(`Д´)ノプンプン
疑問1 これはどういう脳の不具合なんでしょう?
名前だけが思い出せないって、その人の顔や性格や自分との関係やウワサまで記憶している場所と、名前の記憶場所が違うの?
それとも、一つの記憶の中で名前のとこだけがもう一枚のカーテンでさえぎられているのでしょうか?
疑問2 解決策はあるのでしょうか?
疑問1 名前だけが思い出せない訳
名前の記憶と人物の記憶
誰かのことを記憶しているとは、どういうことなのでしょうか。
記憶は、専門用語を借りれば、記銘→保持→想起 の手順を踏んで私たちの役にたちます。
言い換えれば、情報を受け取る → おぼえておく → 思い出す、ということですね。
ここから先は、脳科学の専門分野に踏み込む自信はありませんので、私自身の体験的な観察から考えてみたいと思います。
☆1 記銘=情報の受け取り
情報に出会ったとき、全く無関心なら最初の「記銘」が起きず、情報は無かったに等しいもので、受けとることはありません。
注:歴史の丸暗記とか、英単語とかは、無関心でも覚えなければならない記号として受け取っている限りは工夫がいりますね(-_-;)
受け取る情報であれば、私たちは心を動かしているので、何らかの反応、好き嫌いとか、評価や感想を伴って受け取ります。
☆2 保持=おぼえておく
感情や判断という自分の精神的反応を伴って受け取った情報は、その後の思い返し(反芻)や考察理解に従って、それなりのイメージが生まれて定着していきます。
考察や理解の過程では、全く別の情報との関連付けもしています。
こうして、覚えているイメージは関係のある事柄と結びつく結び目をいくつも作り、大きく肉付けされても行きます。
☆3 想起=思い出す
思い出す瞬間をスローで観察してみると、何らかの刺激がヒントになって、関連の糸をたぐることで記憶が意識にのぼってきます。
勝手に思い出が、突然、意識に現れたと思うような場合でも、自分でも気づかないうちに、関連あるヒントの刺激があるのでしょう。
例えば、香りとか、感情の高まりとかが。
〈閑話休題〉一つ思い出した例があります。
先日、果物やお菓子が山ほどテーブルに並びました。
それを見たとたん、私は、とても不安で悲しい気分になってしまったのです。
子供のころにそっくりの風景を見たことを思い出したからです。
私の母は、明治生まれの人で、長子をしっかり育てれば後は安心と思っていて、長女の私に戦前のドイツ式育児を実践していました。
当時のドイツ式育児というのは、厳しく育てて強い兵士にする目的でした。
お乳は時間を決めて、後は泣いても決して抱いたりあやしたりせず時間までは一人にしておくといったもので、一事が万事でした。
物心つくと、根気を育てるためにと、当時どこの家庭にもあったマッチ箱をひっくり返し、マッチを一本一本、きちんと揃えて箱に詰める練習を何度もさせられましたな~。
お菓子で思い出したのは4歳ごろの冬の夕暮れ。
妹をおぶった母が、どうしても出かけなければならないから、一人でしっかり留守番するようにと言い出したのです。
厳しいしつけに応えていた私は、「はい」と言って玄関に正座し、三つ指ならぬ可愛いモミジの両手を前につき、「いってらっしゃい」と送り出しました。
玄関がピシャリとしまり、門扉が閉じられ母の足音が消えていきました。
茶の間には、黄色い裸電球のスポットライトを浴びて、まあるいちゃぶ台の真ん中に、オレンジ色のミカンが輝き、横には色とりどりの駄菓子が菓子盆に盛られていました。
お留守番のご褒美です。
やったー、ウキウキと茶の間に小走りで戻った私でしたが、夢のようなお菓子の山が周囲の暗闇からポッと浮き上がっているのを見たとたん、涙がポロポロこぼれ、大声で泣きだしました。
今でも、しんと静まりかえった中で、光に浮かびあがるお菓子の山を目にすると、不安で悲しくなるのは、あの時の思い出がきちんと想起されている証拠ですね。
これを読んで、心配しないでください。
私は結局、母には負けませんでしたから。
母は、勉強や習い事も熱心にさせてくれましたが、すべて、苦手克服が目的でした。
だから、不得意で楽しくないことばかり、のはずですが、私は、結構楽しんでいたんです。(笑)
そのおかげで、今でもまだその習い事が趣味として続いていますし、ちょっとのことではヘコタレナイ強い女になりましたから(笑)
あ、これって、母の狙い通りだったのかもしれませんね。
名前が出てこないのはなぜ?
名前を思い出せないときには、意識的に思い出そうとして、ヒントを探しまくっていますよね(笑)
でも、よく考えると、名前自体が、ヒントの一つにすぎません。
思い出の根幹は、情報を受け取り記憶にとどめた時の精神的体験を伴ったイメージの方です。
名前だけが思い出せなくて落ち着きませんが、もう、本体を思い出しているのですから、名前は必要ない枝葉、レッテルにすぎません。
だから、名前が思い出せない苛立ちは、脳から見たら本末転倒。
名前って実は、その程度の物かもしれませんね。
名前に物を言わせたり、名前で一目置いたりするのは、狭い社会の愚かな習慣です。
とは言っても、思い出せなくなった「ド忘れ」症状の心配は別です。
こんな「ド忘れ」、ベイカーベイカーパラドックスは放っておいていいのでしょうか?
疑問2 ベイカーベイカーパラドックスの解決策
やはり、脳の劣化であることは間違いありません。
認知症の予兆でないとは言い切れません。
では、どうするのが一番いいのでしょうか。
調べてみると、いろんな提案があります。
☆この症状だけなら放っておいていい。
こう言われても気になりますよね。
放っておけません。
☆思い出す努力をすると脳トレになるので、簡単に人にきいたり、調べたりしない。
ちょっとやってみたけど、少なくともその時はダメでした。
次の朝、突如、先生のあだ名がでてきました!
朝は脳が休んでリセットできたのかなと思います。
☆一つのことにこだわると脳細胞がダメになる、なんていうのもあります。
こだわり続けると脳の回路も混線するんでしょうか。
コンピューターと同じで、一度にいろんな指令を出すと固まってしまうかもしれません。
次の朝、すんなり思い出せたことを考えると、思い出せないときはそれ以上こだわらないでしばらく脳を休ませるのがいいかもしれません。
私がおすすめの対処法
私が名前を思い出せない体験、実は、しょっちゅうなんです。
その時はどうするかを参考までにお知らせしますね。
人に尋ねたり、調べたりします。
そして、次に思い出す時にヒントになりそうな事柄と関連付けて覚え直します。
名前に新しいヒントをつけて記憶の上塗りをするんです。
この方法で今まではかなり成功しています(^_-)-☆